フラット革命 Flat革命
8月 16th, 2007 by rilakkuma
佐々木俊尚氏の新作です。新作ですが、前書で取材や構想に相当時間をかけていることが伺えます。
佐々木氏はまず、マスコミの危機をあげてフラット化を探求している。インターネットの匿名性、インターネットの批評、ブログ論壇などのインターネットの外要因がマスコミを危機に陥れている。インターネットは今やマスコミと対等の力を持ったのである。そして、内部要因としてマスコミは社会全体の代弁者ではなくなったということである。マスコミのわれわれは社会全体という代弁者であったが、今ではわれわれというのは誰を想定しているのかを特定するのは難しい。一億総中流という社会では、われわれを特定するのは容易であった。しかし、総中流は存在しない。そして、日本の共同体というシステムが大きな変化を遂げた。
佐々木氏は、共同体という仕組みについて ドイツの社会学者フェルディナント・テンニースの提唱した、ゲマインシャフト、ゲゼルシャフトを説明している。
テンニースは、人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁で深く結びついた伝統的社会形態であるゲマインシャフトからゲゼルシャフト(Gesellschaft)へと変遷していくと考えた。(WikiPediaより)
日本では血縁関係から、工業化により会社という共同体を形成していた。そして、第三の波(アルビン・トフラー)により、企業という共同体も変化している。そして、それは急速に個人という「わたし」にシフトしていく。 そして、そのシフトが人間関係の大きな組み換えを行っていると述べている。
その人間関係の組み換えの重要なキーワードになるのが、「ロングテール」と「セレンディピティ」である。
ロングテールというとマーケティング用語であるが、実はロングテール現象により今までは知り合うことがなかった人、今までにはなかった情報、商品、サービスなどに容易に出会うことができる。
そして、セレンディピティ。セレンディピティとは「何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す。(WikiPediaより)」 インターネットでは、人と人との知識がぶつかり合い、新たな知が生み出されていることを集合知と呼んでいる。
そして、集合知という形成の中で、インターネットの共同体は成り立つのであろうか?「私」は社会から切り離されないで「公」とつながることはできるのか? リアルとネットの境目がなくなるなかで、リアルの世界がインターネットのような共同体になっていく可能性がある。このような共同体で公平性、公共性はどこにあるのか?それはこの本の最後に考えが書かれています!
posted with amazlet on 07.08.16
佐々木 俊尚
講談社 (2007/08/07)
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