SMの本。といってもSMのテクニックについて書かれている本ではない。本当のSMとは何か。なぜSMは出現してきたのかという歴史的背景が書かれている。
はっきり言って、この本を読んでSMの概念を誤解していることがわかった。
1.SMはラポールで成り立っている。
SMといえば、Sが一方的にMをいたぶるという図式を思い描く人も多いであろう。しかし、SはMに快感を感じてもらうためにいじめなければならない。つまり、Mの快感とツボを心得ていじめなければならないのだ。
これはMの内面を十分に理解しないと難しいだろう。
一方、Mの方が自己中心的である。Mは「わたしのことを理解してくれるS」があらわれるのを待っている。わたしのことを一から十まで理解してくれる究極のSだ。
つまり、SMは両者の合意のもとで成り立っている。Mは誰でもいいからいじめられたいのではなく、Sとの精神のつながりがなければSMは成り立たないということなのだ。
2.SMはなぜ生まれたのか
もともとキリスト教徒の本質はMである。もともと信仰というものは「苦難を乗り越えて生きていく」ということなので、キリスト教徒はMなのである。
それではキリスト教徒のSは誰かといえば、絶対的なイエスである。
みんなイエスに支配されて快感を感じていたのだ。
しかし、近代化が進みお金が力を持ってくると「本当に神はいるのか?」という疑問がわきおこり、 キリスト教の支配力が薄れていく。
そこで、キリスト教の支配が薄れてきたところに、それに変わるものとしてSMが生まれた。
西洋では、子供が悪いことをすると「鞭でビシビシ打たれる」というのが習慣である。
その鞭で打たれたときに快感を感じる人が増えてきたという。
3.西洋は鞭で日本はなぜ縄なのか?
西洋の文化は家畜文化であり、馬や牛を鞭で支配する文化である。その影響でSMで相手を支配するのは西洋では鞭なのである。
一方、日本は家畜文化ではない。それではなぜ縄なのか。
日本の文化は恥の文化であり、その基本が着物である。
なぜ、着物は帯でがちがちに体を締め付けているのか。
コラムニストの中野翠さんが着付けをしてときの体験から
「女性のM感覚というのは、キモノを着たとき伊達巻やら帯やらでギュウギュウに縛られることの快感に通じているのでは」
と指摘していたそうである。
そして、団鬼六氏もこう言っている。
「おっしゃるように日本のSMは帯。豆絞りの猿ぐつわをしたところに黒髪がはらりと流れるエロティシズムです。西洋の猿ぐつわはギャグといって、革でしかも玉がついているから声がでない。反対に声がでないように猿ぐつわをしたところで、何かの拍子でゆるんで「助けてー」と声が漏れるのが何ともいえない日本のエロティシズムやと思うんです。」
しかし、現代では女性もゆったりした服を着ることが多くなりSMの要素から少しずつ離れているようにもみえる。
ちなみにわたしはS的な要素があるのですが、この本を読んでなぜ自分がS的な要素があるかわかった。
きっと、みんなに快感という喜びを与えたかったからなんだと思う。
「SはサービスのSである」とみうらじゅん氏は言っていた。
名言だと思った。
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