カテゴリー別アーカイブ: エッセイ

ひとりでは生きられないのも芸のうち 内田樹

ひとりでは生きられないのも芸のうち 内田 樹 文藝春秋 発売日:2008-01-30 ブクログでレビューを見る» あいかわらず内田先生の本はおもしろい! 視点は難しいのだが、切り口がおもしろいしわかりやすいので好きだ。 ブログからのコンピレーションですが、ブログ読むより本を読んだ方がやっぱりいいですね。 いろいろなテーマについて書かれていますが、共同体について書かれていることが多いです。 リバタリアニズムからコミュニタリアニズムということになるのでしょうかね。 リバタリアニズムって以外にも日本に蔓延っていたんだと思い知らされます。アメリカ的な資本主義を受け入れて、共同体が解体されるとリバタリアニズムは自然と蔓延っていくのでしょうか。 自分は違うと思っても、知らない間に自分がリバタリアニズムに犯されていることってあるんだと考えさせられました。 個人的には、「無人島ルール」を知っていますか?が好きです。 「スイスのロビンソン」という児童文学の話が紹介されています。 スイス人の一家が無人島に漂着して、ロビンソンクルーソーのような暮らしを始める 漂着したあと、海岸で魚介類を集めてブイヤベースを作るという話がある。 スープができたが、皿もスプーンも人数分ない。子供のひとりがおおぶりの貝殻をとりだして、それでずるずるスープを啜り始めた。 それを見た父親が子供に問いかける。「お前は大ぶりの貝殻を使うとスープが効率よく食べられるということに気づいたのだね?」 子供は誇らしげに「そうです」と答える。 すると父親は厳しい顔をしてこう言う。「では、なぜお前は貝殻を家族の人数分拾い集めようとせずに、自分の分だけ拾ってきたのだ。お前にスープを食べる資格はない」 内田先生は九歳のときに、この話を読んでがーんときたらしいですが、自分は今頃がーーんときてしまいました。 遅いけど、今知って良かった。

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コミュニケーション至上主義社会への疑問

ダイヤモンドオンラインにこんな記事が載っている。 元2ちゃんねる管理人ひろゆき氏との対談で芽生えた外に出ない=ダメな人」という固定観念とコミュニケーション至上主義社会への疑問 http://diamond.jp/articles/-/9175 点線部分は記事からの引用です。 ——————————————————————————– ひろゆき氏はまず「なぜ人は外出しなければいけないのか?」という視聴者からのコメントを紹介。 「外出しないから、あなたは引きこもりですって、(外出しないことが)悪いことのように言われている気がしている。外出しなければいけないの?って思った時点で、ダメなヤツだと言われたら、しゃーないかな」 ——————————————————————————– 「外出しない=引きこもり」という図式にはならないと思う。この図式によると世界中の偉業を成し遂げた人たちも引きこもりということになるだろう。 ポアンカレ予想を解いたペケルマンは、サンクトペテルブルクで外出しない生活をしている。そして、米国のクレイ数学研究所が贈呈を決めた 賞金100万ドルの受け取りを最終的に断った。 このように偉業を達成する人には、社会生活にうまく適合していていない人も多い。ただし、日本はこのような人を社会から排除する傾向が強いのではないか。 価値観の多様化、ダイバーシティと言いながら、引きこもりの価値観は認めることができていない。ただ単に働けないダメなヤツぐらいのレッテルを貼っている。 わたしが最近つらいことは、「お仕事なにされてるんですか?」ということ、説明しずらいので「情報処理を教えています」と答えています。相手は適当にレッテルを貼ってくれるでしょう。 ——————————————————————————– 「なぜ現代社会は、コミュニケーションスキルを過剰に要求しているのか?」 社会を見回せば、能力よりも要領のいい人が出世していく。逆に、コミュニケーションの下手な人は、実力とは関係なくソンする事も少なくない。日本が「コミュニケーション至上主義」の社会になっていることも、多くの引きこもりを生みだし、社会復帰を妨げる背景にあるといえる。 ——————————————————————————– ここで言う「ソン」という言葉について。このソンというのは、お金を稼げるか、そうでないかというソンなのでしょう。つまり、資本主義というシステムの中でソンをしているということです。このコミュニケーション至上主義というは、コミュニケーションが資本主義の中でお金を稼ぐための道具になってしまったということではないでしょうか。 会社が求めるコミュニケーション能力とは、お金を稼ぐための能力のこと?村八分にされない能力のこと? ——————————————————————————– ひろゆき氏はここで、身近で働くアスペルガー障害を持った人が、プログラマーとしては非常に優秀だったのに、サーバーがアダルトサイトにアクセスしてしまい、警察に逮捕された話を紹介した。彼は誤解を解こうと一生懸命説明するものの、話がシドロモドロのため、理解できない警察は23日間勾留。出てきたときには会社を解雇され、家賃も払えなくなって、ホームレス寸前にまでなったという。 ——————————————————————————– コミュニケーションとは、そもそも相互作用のことだ。 上の例でいうと、警察は彼の説明を理解できなかった。逮捕された彼も相手に説明することができなかった。これは逮捕された彼に責任があるのではなく、警察がただ理解できなったというだけである。お互いのコミュニケーションが通じていなかった。それでなぜ逮捕されるのかというのはわからない。 その後、会社も彼を解雇してしまうが、事実を確認したのだろうか。そして、彼の能力は正当に評価されていたのであろうか。もし、彼が説明できなくても、周りのエンジニアを彼の代わりに説明してあげることはできなかったのだろうか。 結局はコミュニケーション至上主義というのは個人至上主義ということ。 コミュニケーションスキルが高ければ、お互いがお互いを支え合うコミュニティを構築していけるはずである。 要領がよくて出世していくのは個人至上主義。 外出できない人を引きこもりと言うのも個人至上主義。 外出できない人が増えているのは、システムという制度が破綻してきている証拠なんだろう。そのシステムの中だけで図らないことだ。

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打たれ強く生きる 城山 三郎

打たれ強く生きる (新潮文庫) 城山 三郎 新潮社 発売日:1989-05 ブクログでレビューを見る» いわずと知れた城山三郎さんのエッセイ。さすが城山さん、財界人との太いパイプをもってらっしゃいます。そして、人物の観察、目の付け所がスルドイです。 このエッセイのぼちぼちが一番から———————————————————————————–「静かに行くものは穏やかに行く、健やかに行く者は遠くまで行く」 ぼちぼちとは、ともかく、前に向かって歩いていることでる。自分のペースで歩き続けているということである。マスコミの脚光を浴び、ライバルに負けまいと、急成長し、急破綻して行った数多くの人たちを、わたしは思い浮かべずには居れない。それは、マスコミの世界でも、また経営者の世界でも、同様だった。————————————————————————————-大器晩成ってことで,これからボチボチいきます。

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宮崎駿に学ぶ部下の育て方

部下や後継者を育てるのは大変なことですね。育成は早く、簡単に、効率的という言葉に縁がないのではないでしょうか。 実は、あるところでも後継者育成に苦心していました。 それは、なんと・・・・・・スタジオジブリ! 今週のNHKで放映されたので見た人もいるのではないかと思います。 ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督 葛藤の400日 宮崎駿さんは69歳です。本人曰わく、もう監督ができるのはあと1本だろうということです。 しかし、宮崎駿の後継者になれるような人は、今まで聞いたことがありません。 そこで、現在公開中の「借りぐらしのアリエッティ」は37歳という若いアニメーターの米林宏昌(通称マロ)さんにすべてを任せることになったのです。 マロさんに任せるにあたり、宮崎さんはあることを決めました。 「いっさい口出しをしない」 それは宮崎さんの節度だといいます。監督は自分自身で決めてOKを判断する。それに口出ししてはいけないと。 宮崎さんは、マロさんが考えた絵コンテを見ませんでした。 そのことにスタッフは動揺を隠しきれない様子でした。 本当に大丈夫なのか。制作費数十億円の映画がこけたら、世界のスタジオジブリの名に傷がつく。 しかし、それを一掃したのは宮崎さんがスタッフ一同を集めて説明したときでした。 「自分は絵コンテをいっさい見ていません。マロにすべてを任せます」 そのときスタッフは、もうマロさんについていくしかないんだ。自分たちでやるしかないんだと思ったことでしょう。 宮崎さんがここまで思い切った後継者育成に乗り出すには訳がありました。 宮崎さんは以前も監督を任せることをしてきたのですが、自分のこだわりから現場に介入して、衝突することもしばしばだったといいます。 宮崎さんの後輩に、近藤喜文さんというアニメーターがいました。近藤さんは映画「耳をすませば」の監督をされた方です。 近藤さんが監督をしていたときも、宮崎さんは演出方法で近藤さんと幾度も衝突したといいます。そして、ときには強引に演出を変更させたのでした。 もともと病気がちだった近藤さんは、映画完成の2年後に病気でなくなりました。 その時のことが、今でも宮崎さんの心にしこりを残していたのです。 最初は、慣れない様子で監督をしていたマロさん。自分で原画をチェックしながら進める方法は大幅に進行が遅れていました。それでも、予定通り映画を完成させることができました。 宮崎さんは、アリエッティの完成試写を見たとき涙していました。 そして、試写が終わってから宮崎さんは、マロさんと堅い握手を交わし、マロさんの腕を高々と上げて言いました。 「本当によくやってくれました」 初監督のマロさんにねぎらいの言葉をかけたのです。 マロさんは満面の笑みを浮かべていました。 宮崎さんは、初めての監督するマロさんに言いたいことは山のようにあったと思います。それをすべて喉の奥に飲み込んで、最後にねぎらいの言葉をかける。 宮崎さん自身が後継者育成に苦慮してきたことからの成果ではありますが、徹底して自分の決めたルールを守る。これはなかなかできることではありません。 こうしたことがあってこそ、マロさんは監督という重圧をかかえながら期待に応えることができたのでしょう。 試写会が終わった後は、師弟の新しい空気が流れていました。 人が成長する姿というのは、本当に美しいと思います。

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ひきこもれ 吉本隆明

セミナーにいくとポジティブになれということを潜在意識に刷り込まれます。 天の邪鬼のわたくしは、年がら年中ポジティブというのもどうなのかなと思ってしまいます。 セミナーや本でポジティブになっても効果が続くのは1日から3日ぐらいまでです。 人間だから、やる気を失うこともあるし、気が乗らなくて怠けることもあるのです。 本当はひきこもって、毎日地道ともいえるほど自分と向き合い事を進めることが大切だと思うのです。 別に、それは大きな声を出すことでもなく、異様にテンションが高くならなくたってできるはず。 この本で吉本隆明先生もいっていますが、世の中はコミュニケーション能力が足らないといって、コミュニケーション能力を高めましょうという風潮になってきている気がします。 この本を書くきっかけを吉本先生はこう語っています。 スーパーの店長さんがインターネットで「ひきこもり」を五千人ぐらいチェックして、その人たちをメンバーに会合を持ち、話し合いの場を作って「ひきこもり」傾向の人を矯正する試みをやっているという紹介があった。 このスーパーの店長さんのような「引き出し症候群」ともいうべき素人の人たちのやっていることは、実はとてもおっかないことです。 本人たちは善意でやっているつもりで、世の中も、かれらを肯定的に見たりしている。そこには「引っ込み思案は駄目で、とにかく社交的なほうがいいんだ」という価値観が潜在的にあります。 吉本先生は「ひとりで過ごす時間が価値を生み出す」といっています。 物理学には、位置エネルギーというものがあります。 高いところに行けばいくほど、エネルギーが大きくなるのです。 ひとりの時間を過ごすというのは、高いところに一歩ずつ登るのと似ています。 つらいけど、自分が登らなければ高いエネルギーは得られないのです。 高い位置に到達したときは、きっとすばらしい眺めが待っているはず。 ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫) posted with amazlet at 10.02.06 吉本 隆明 大和書房 売り上げランキング: 24329 おすすめ度の平均: 今のご意見をお聞かせください、ばななさんのパパへ コミュニケーション能力一元主義への反発 「ひきこもり」はヒトの良い特性のひとつ。彼らへの誤解が解ける本。 「孤独」な自分を肯定できない方に読んで欲しい 親の代理死と言い切る勇気 Amazon.co.jp で詳細を見る

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