村上春樹のデビュー作と第2作目が収録された本。
はっきり言って内容はわからない。ストーリーの脈絡も何もないように思う。
それでも、読むと暖かいような冷たいような。そう、身体の中で響いていくというのが一番しっくりくるかもしれない。意識では捉えることができないが、無意識はしっかりと反応してしまうのだろう。
この小説は読むのではない、感じるモノだ。
カテゴリーアーカイブ: 書評
村上春樹にご用心 内田樹
村上春樹は小説には「うなぎくん」が必要なのだという。
作者と読者、そしてうなぎくんの三者協議。
以下、村上春樹さんのインタビューから引用。
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みんな読者と作家のあいだだけで、ある場合には批評家も入るかもしれないけど、やりとりが行われていて、それで煮詰まっちゃうんですよね。
でも、3人いると、二人でわからなければ「じゃ、ちょっとうなぎに訊いてみようか」ということになります。するとうなぎが答えてくれるんだけど、おかげで謎がよけいに深まったりする。
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うなぎって、NLPでいうパートとかフォーカシングでいうフェルトセンスみたいなものなのだろうか。
あるいはディズニーストラテジー、ポジションチェンジでしょうか。
ひらめいたのは、村上春樹はきっと人の無意識あるいは普遍的無意識の中に、透明人間のようにスゥーと入っていける人なのではないかと思う。
通常は意識がブロックするところも、何もなく自然に、そして穏やかに入ってしまう。その入ったことさえ気づかずに。
だから、あれだけの人に読まれているのだろう。
それを構造だという人もいる。確かに構造なのだろうが、構造にはあがらえない。
非言語コミュニケーションについて考える
こんな日本でよかったね-構造主義的日本論- 内田樹さんの本を読了。
またまた内田先生のブログコンピレーション本。最近はウッチー先生の本ばかり読んでいる。
内田先生の前書きから
「人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である。」
そういう立場で書いているらしい・・・。
つまり、本にするときにブログで書いたこと忘れちゃってるってことねww
自分も本の校正は、嫌いなんです。
自分ってこんなこと書いたかな・・・とか、自分の文章のヘタさを客観的にみせつけられるのに耐えられない。
内田先生はうまい理由を考えたなぁと思う。
だから、自分もこれからは構造のせいにしちゃおうっと。
この本の三章には「生き延びる力」という章がある。
その中にコミュニケーション失調症候群という話が出てくる。
ハラスメントの事件で一番頻繁に聞く言葉は、
「私はそんなつもりで言ったんじゃない」とか
「私はそんなつもりでしたんじゃない」など
である。
「つもり」と「言葉」が乖離している。
グレゴリー・ベイトソンは「精神の生態学」の中でコミュニケーション失調の端的な兆候として、
「何を言うつもりでその言葉を言っているのかが判定できない」
と言っている。
例えば女性から。。。
「この後、どうするつもり?」
と言われたら。
「今日はひと晩あなたといてもOKなのよ」と取るのか、それとも
「あなたとはもういっしょにいたくないから、帰りたいわ」と取るのか。
それは、前後の文脈や表情やみぶり、声の抑揚、
もっと言えば今日一日デートして彼女はどんな感じだったか・・・
無限大にある解釈のうち、もっとも適切な解釈を瞬時のうちに採用している。
言語には相手を傷つける内容を含んでいても、暖かいオーラや優しいオーラが含んでいれば、言葉を受け取る人はそのような解釈をしない。
昔、竹中直人の定番ギャグとして「笑いながら怒る人」というのがあった。
これを「マジギレしてるとか」「怒ってて怖い」という人はいないだろう。
相手にメッセージを伝える場合、相手は無限大選択肢中から解釈をすることができる。
つまり、「自分が不快になる解釈を選択すること」も可能なのである。
昨日いったセミナーで、先生は「私たちは選択できる」ということをよく言っていた。まさにその通りだ。
相手がどんな気持ち、どんな感情でその言葉を伝えているのか、私たちは体で受け取ることができる。。。はず。
送信者は「そんなつもりで言ったんじゃないんだ」というのはどこかで、「そんなつもり」を伝えてしまっている。
受信者は「そんなつもり」と選択肢を採用してしまう。どこかで非言語メッセージの掛け違いが起きてしまう。
非言語メッセージの送受信能力は、人間の原始時代から備わっているプリミティブなものだと思う。
プリミティブなものを鍛え直さないといけないというのもおかしな話であるが、
人間が進化と共に退化していくものもあるから、非言語メッセージは退化しているのであろうか?
ここからは余談です。
「ほんまでっかTV」でやってたけど、秋は人が戦闘モードに入るらしい。
歴史的にみても、秋の収穫が終わると他国に攻め入ることが多かったので、その習性も今も染みついているらしい。
光栄の「三国志」ゲームをやっていたとき、秋の収穫で兵糧が増えたら兵を徴兵して他の国に攻め入っていたことを思い出した。
確かに秋は戦闘モードに入るという習性が残っているのだろう。
バジリコ
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常に同意見というわけではないが、彼のような天邪鬼は世の中に必要なんだと思う
トリックスターとしての内田という方
ズルい本。
そこそこ機能している「こんな日本でよかった」のかどうかは、読者各位のご判断にお任せします
おひまなら

