私という運命について 白石一文

白石 一文
角川グループパブリッシング
発売日:2008-09-25

自分の未来を切り開くために、現在から種をまく。自分の未来は自分で変えられるんだ。そう思っていた。思っていたというより、今も思っているが、それでもこの小説を読んでいると、自分で抗えない運命というのはあるのだろう。

自分で運命は変えていける。自分で抗えない運命はある。一見相反するものであるが、どちらも人生には必要なことなのだと思う。

思い通りにいかず、自分で抗えないことがあっても運命として受け入れれば絶望することはない。

自分で運命を切り開いたとしても、それが運命ということを知れば傲慢になることもない。

運命とうまく付き合っていくことが、人生の達人になる方法だ。

借りぐらしのアリエッティ 感想(ネタバレあり)

 「借りぐらし」という言葉はあまり聞いたことがないと思います。借りぐらしというのは、小人が人間からいろいろ借りて生活するということなんです。

 Webのメッセージをみると、なぜ今この企画なのかということを宮崎駿さんが語ってくれています。

http://www.karigurashi.jp/film_message.html

この不況だから消費する時代は終わった。だから、借りて生活するというのがこの時代には合っているのではないかということだ。

そんな意味があったんですね。わたし、見ててそこまでは気づいていませんでした。^^
でも「借りぐらし」ってなんとなく響きがいいですよね。

あらすじ
 アイエッティは郊外の一軒家の軒下にパパとママと暮らしている小人である。そこに翔と呼ばれる12歳で心臓が悪い子供が病気療養にやってきた。
 アイエッティは翔に姿を見られてしまうが、なんとなく信頼できそうな人間でもある。しかし、小人は人間に見られたことで違う家に引越をしなければならなくなった。

この映画を見て感じたことは、自分の価値観で相手を判断してはいけないということです。

小人には小人の世界があり、そこには小人の価値観があるのです。

翔は勝手に小人の家を壊して、ハウスドールの台所をあげようとするし。(本人は悪気はなかった)
そもそも小人というだけで人間と同じ言葉もしゃべるのに、ハルさん(お手伝いのおばさん)はネズミか虫の扱いのように接しています。

わたしたちは自分たちの知らない世界、異種なもの異文化、ライフスタイルの違いなど、初めて接したときに自分たちの価値観で判断して推し量ろうとしていしまいます。(観念のメガネがあると言いますが)
それが、相手にとって大迷惑であるかもしれないのに。

代表的な例でいえば、アメリカのイラク侵攻などでしょうか。
異なる宗教、異なる文化の土地で勝手に民主主義を押しつけたように感じます。本当にアメリカ的な民主主義でいいのでしょうか。今でもイラクが平和になったという話は聞きません。

私たちが知らずにかけている「観念のメガネ」を、まず取り払うことから始めてみたいと思わせる映画です。

インセプション(INCEPTION) 感想(ネタバレあり)

昨日は映画を2本も観てしまいました。

インセプション(先行上映)と借ぐらしのアリエッティです。

まずはインセプションの感想から。

 映画を観てはじめてわかったのは、インセプションというのは対象者の潜在意識にあるアイディアの植え付けることだ。ただし、日本語訳がよくないのか、わたしは対象者の潜在意識に持つ価値観などを書き換えにいく、ビリーフチェンジのことだと解釈した。
 ビリーフチェンジなどは催眠状態で潜在意識にアクセスするが、この映画の場合は夢に入り相手の奥深くにある価値観や信念などを操作してしまうのである。
 映画は、とてもよくできた映画である。ストーリーや話の設定などは完璧なまでによく作り込まれている。後世に残る名作になるのではないだろうか。
 夢の中で夢を見ることで、深い深層意識に到達するという設定がおもしろい。夢がネストしていくことで対象者に深く植え付けることができるのだろう。対象者にアイディアが受け付けられたとき、上位の夢に戻ってくると価値観がころっと変わっているのを見ると、よく研究されているなと思ってしまう。

 この映画のテーマとなっているのは夢である。主人公は、妻といっしょに夢の深層に入り、長く夢の中で暮らしすぎたため妻が夢と現実がわからなくなってしまう。そのため、現実の世界に帰るため妻にインセプションを行うが、その影響で現実に戻った妻は自殺をしてしまうのであった。

 ここでは夢と現実という区分になっているが、わたしたちも日常と非日常をいったり来たりしている。いわゆるハレとケである。冠婚葬祭、旅行、祭り、セミナーなど、この状態が続けばいいなという気分が高揚したハレの状態である。一方、ケとは日常のことであり会社にいったり、家の用事をしたりといった日頃の状態である。

 ハレの状態にずっといることも可能であるが、ハレが続けばハレでなくなる。夢はいつかは覚めるのである。ハレの状態を味わいたくて、いろいろなことにハマることもあるが実はケの状態の方が重要であることを最近感じるようになった。
(ゲームをやっている状態もハレに入りたくてやっているのだろう)

 自己啓発のセミナーにいくとその時に高揚して「オレはやるぞ」とハレ状態になるが、ケに戻るといっぺんにやる気が失せてしまうことがある。いわゆる現実に戻ってしまうというやつだ。

 ハレのときに設定した目標は、ケの状態で粛々と実行していくしかないのである。だから、ケのときにいかに過ごすかが大事である。夢の中にいすぎるとケがケガレになってしまうことすらあるということをこの映画は教えてくれた。

ハレがあるからケがある、ケがあるからハレがある。