中国漁船拿捕事件について考える

内田樹さんの「子どもは判ってくれない」を読了。

内田先生の文章は高度であってやさしい。真面目でおもしろい。という相反するものを混ぜてできあがった文体である。そして、わたしはそれが好きです!w

この本に呪いのコミュニケーションというのがあったので引用してみる

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「呪い」というと大仰に聞こえるかも知れないけれど、田口ランディさんによると、それはごく日常に行われていることだ。

呪いというのは、口という字が入っている通り、口で行う。もともと呪いとは相手を縛ってがんじがらめにして、生気を奪い取ることなのだそうだ。いかにもおどろおどろしいが、こんなことは誰でもやっている。特に、男と女の間、親と子の間でよく見かける。

呪いの特徴はまず「意味不明の反復」に始まる。
呪いの言葉というのは明瞭ではおかしい。相手を縛るためにはまず不明瞭であることが重要なのだ。よって人は不明瞭な反復を行う。理解不能だ。なぜなら呪いは理解を嫌うからだ。理解されては呪いにならない。

「あなたのためだけを思っているのよ」
「なにが気に入らないのかはっきり言ってよ」
「おまえ俺をナメてんのか」
「お願いだから私のこともわかって」
「俺はお前のことだけを思ってやってるんだ」

などは典型的な意味不明の呪いの言葉だ。この言葉を繰り返されても、相手は答えることができない。相手の答えを封印しつつ、答えられない質問を繰り返すことで相手を呪いにかけていく。呪いの言葉をかけられた相手は、沈黙するしかない。答えは最初から封印されているのだ。
(田口ランディ「根をもつこと、翼をもつこと」晶文社
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今回の中国漁船拿捕事件について、「謝罪を!賠償請求を!」と中国側が言ってきた。たぶんこれは呪いの言葉なんだな。この言葉を繰り返されると日本政府は呪いだかかったように動けなくなる。政府は中国の要求と国民の世論(マスコミの世論か?)とでキュウキュウになる。日本政府ってMなんですかね?w

呪いの言葉をかけられると、身動きができない。そして、不快感と疲労感となんとも口では言えない気分におそわれる
。これですごいエネルギーを奪われるのだ。

だから、中国側が「謝罪を!賠償請求を!」というのは日本政府を動けなくしようとしているのだろう。昔の総理は、疲労感一杯で鬱っぽくなって辞めてしまった。

これでエネルギーが吸い取られて、他の政策も動かなくなるのは問題だ。

日本政府はエネルギーを吸い取られないように、そして首相は鬱になりませんように。早めにメンタルヘルスにいってください。

この事件で注意しなければならないのは、日本が国益を重視すべく「戦争を辞さない」という方向に行ってしまうことではないのだろうか。

客観的判断として、日本はもっと強硬に出るべきという意見が多いが、こうした場合主観的バイアスがかかっている。

日本はもっと強硬に出るべきが半数を占める↓
http://diamond.jp/articles/-/9499/votes

中国側が不条理なことを突きつけてきたときに、日本もそれに対して応酬するべきだというものである。つまり、「いつでも受けて立つぜ!」という構えだ。今までいじめられっ子だったのが、いきなり「喧嘩上等、いつでもかかってこい」となる。

さて、こうなったときに行き着くところはどこだろうと考えたときに、中国が折れてくるということは考えにくい。そうなれば、いつでも戦争に突入してもおかしくないということである。

さて「喧嘩上等、いつでもかかってこい」と言って、いざ戦争に突入できるのか。
それは絶対に避けなければならない。

「日本はもっと強硬に出るべき」という人たちは、「~中国が日本の領域を侵して欲しい」と暗に願っていることになる。それを証明するには、実際に中国が日本の領域を侵してくる事以外にないからだ。強硬に出るべき派の人たちは、「それ見たことか、あのとき強硬に言わないから、中国が領域を侵してきたぞ」と言いたい。

こうした主観的願望が支配したときに、わたしたちは「日本はもっと強硬に出るべき」という根拠を集めるだけの情報を拾いやすい。

内田先生いわく
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私たちが自説になじまないデータを排してし、自説を傍証するデータのみを選択的に「発見」することは、人間である以上仕方がない。仕方がないけれど、「人間は自身の主張になじまない情報を排除して、つごうのよい情報だけを拾い集めて、総じて客観的情勢判断のつもりで主観的願望を語る生き物であり、私もその例外ではない」
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もちろん私もその例外ではない。でも、それを意識しているのと、していないのでは違うことだ。

ここで「日本はもっと強硬に出るべき」というのが「悪い」と言っているわけではない。
それもひとつの考えだが、「日本はもっと強硬に出るべき」の行き着く先はどうなるのか?強硬に出なかった場合はどうなるのか。その判断をしてみようじゃないかというものである。

子どもは判ってくれない (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋
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5 買う価値があった
4 「正論」や「愛国心」とは何か
4 オトナの!
5 右から左へ受け流す思想家の、その身体技法を味わえ
4 軸を持ちながら…

ひとりでは生きられないのも芸のうち 内田樹

あいかわらず内田先生の本はおもしろい!

視点は難しいのだが、切り口がおもしろいしわかりやすいので好きだ。

ブログからのコンピレーションですが、ブログ読むより本を読んだ方がやっぱりいいですね。

いろいろなテーマについて書かれていますが、共同体について書かれていることが多いです。

リバタリアニズムからコミュニタリアニズムということになるのでしょうかね。

リバタリアニズムって以外にも日本に蔓延っていたんだと思い知らされます。アメリカ的な資本主義を受け入れて、共同体が解体されるとリバタリアニズムは自然と蔓延っていくのでしょうか。

自分は違うと思っても、知らない間に自分がリバタリアニズムに犯されていることってあるんだと考えさせられました。

個人的には、「無人島ルール」を知っていますか?が好きです。

「スイスのロビンソン」という児童文学の話が紹介されています。

スイス人の一家が無人島に漂着して、ロビンソンクルーソーのような暮らしを始める

漂着したあと、海岸で魚介類を集めてブイヤベースを作るという話がある。

スープができたが、皿もスプーンも人数分ない。子供のひとりがおおぶりの貝殻をとりだして、それでずるずるスープを啜り始めた。

それを見た父親が子供に問いかける。
「お前は大ぶりの貝殻を使うとスープが効率よく食べられるということに気づいたのだね?」

子供は誇らしげに「そうです」と答える。

すると父親は厳しい顔をしてこう言う。
「では、なぜお前は貝殻を家族の人数分拾い集めようとせずに、自分の分だけ拾ってきたのだ。お前にスープを食べる資格はない」

内田先生は九歳のときに、この話を読んでがーんときたらしいですが、自分は今頃がーーんときてしまいました。

遅いけど、今知って良かった。