官僚たちの夏 城山三郎

時代は60年代。主人公の風越信吾は、通産省のキャリア。ゆくは次官として期待され、「ミスター通産省」と呼ばれている。風越の趣味と言えば人事。通産省のキャリアたちの名前をカードに書き、カードを動かすことで人事をいつも考えている。

この小説の焦点は2つある。

ひとつは「指定産業振興法」の法案を国会で通すこと。60年代はまだ自分が産まれていなかったので、どんな時代なのかわからない。小説で説明されているのは、通産省が国内の産業を保護しているので、国外から国内市場の自由化を迫られているというものだ。この時代から既に自由競争を国外から迫られていたということだ。現在ではグローバリズムのもとに生き残っている産業、死んでしまった産業は様々だ。ここからグローバリズムが始まっていたかと思うと驚きであった。

結局、法案は通らなかったのであるが、通産省の勢い、熱気を感じる。いわゆるこの時代は男気を感じるのだ。仕事にすべての人生を掲げる。仕事ができるのが男の証。そこにダンディズムを感じる。今の日本では感じることができない上昇気流というものを感じることができる。

そして、もうひとつは風越の人事、仕事観、上司としての部下の接し方である。それも、現在ではパワハラとしてとられる行動も含まれている。でも、この時代はそれがダンディズムだった。

風越の仕事観はこうだ。

「おれは、余力を温存しておくような生き方は、好まん。男はいつでも、仕事に全力を出して生きるべきなんだ」

この反対の価値観を持つのが、エリートの片山だ。片山は仕事もそこそこに、テニスもサッカーもゴルフもヨットもこなす。それでいて仕事に手を抜いているわけではない。仕事も遊びもそつなくこなす。

そして、話の最後に風越の目をかけていた部下が死んだり、病院に入院してしまう。今で言えば過労死、労災と言われてもおかしくないものだ。

風腰は、最後に新聞記者に窘められる。

「ケガを突っ走るような世の中は、もうそろそろ終わりや。通産省そのものがそんなこと許されなくなっている。・・・」

最後に風越の時代は終わった。正確には、ダンディズムという価値観は終わったのだ。
寂しいようで、次の時代の到来を予感させることで話は終わる。

ちなみに、最近は太陽にほえろや西部警察のような男に人気があるドラマは製作されなくなってきた。そのわけは、男の消費が冷え込んでいるから、男が好きな商品を持つ会社のスポンサーがどんどんいなくなっているわけだ。だから今は女の人に好まれるCMばかりが目につく。

時代の変遷を感じる小説であるが、日本の仕事感としてのパッションを感じる。今で言えば暑苦しいととらえられるのであろうか。

打たれ強く生きる 城山 三郎

いわずと知れた城山三郎さんのエッセイ。
さすが城山さん、財界人との太いパイプをもってらっしゃいます。
そして、人物の観察、目の付け所がスルドイです。

このエッセイのぼちぼちが一番から
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「静かに行くものは穏やかに行く、健やかに行く者は遠くまで行く」

ぼちぼちとは、ともかく、前に向かって歩いていることでる。自分のペースで歩き続けているということである。
マスコミの脚光を浴び、ライバルに負けまいと、急成長し、急破綻して行った数多くの人たちを、わたしは思い浮かべずには居れない。それは、マスコミの世界でも、また経営者の世界でも、同様だった。
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大器晩成ってことで,これからボチボチいきます。

価格破壊 城山三郎

城山 三郎
角川書店
発売日:1975-06

今でこそ、薬品の安売りはめずらしくなくなったが、昔は定価というものが存在していた。主人公は流通機構や再販価格にまっこうから風穴を空けようとする旗手である。
メーカーや弱小小売店を敵にしても、最後は消費者のニーズに答えるために自分の信じた道を突き進むのは、読んでいて胸がスカっとする思いである。

この本で学んだこと 

1.どんなに追いつめられても諦めない。
 この本にも出ている「あと、もうイーチャン」という姿勢は見習いたい。

2.自分の信念を曲げない
 自分たちの売るものは自分たちで値段を決める!買収されそうになっても、自分の信念を曲げなかった。

3.買った瞬間からくさりはじめる
 妻の「くさらないものはないの」という質問に
主人公の矢口は「動いているもの、流れているものは、くさらない。くさるより早く流れてしまう。人生だって、絶えず流れて走っていなくちゃ」と答えている。