そこのあーた、ねぇねぇ、もっとゆる~くいかない?ビバ、リラックス!!

観念のメガネ

私は大学で情報処理の講師として5年ほど、学生を相手に教えていました。5年もやっていますとテキストをみなくても、ぺらぺら内容をしゃべれるようになります。
もともとわたしは話すのが苦手な方ですが、それでも5年やればできるようになります。

5年間やって感じることは、一方的にこちらから話しても学生にはほとんど伝わっていないということです。こちらが100話したら、20伝わればまだいい方です。

人には観念のメガネというものがあります。
人はひとつの事実について捉え方が様々です。

アナウンサーは絶対「天気が悪い」とは言いません。
農家の人は雨が降ると農作物の収穫がよくなるので、雨が降って欲しいと思っているかもしれません。わたしは高校生のときテニス部で練習がきつかったので、いつも雨が降らないかと思っていました。雨が降ると練習メニューが軽くてすむからです。
天気が良いと感じるか、悪いと感じるかは人それぞれ。

つまり、自分が信じていること、価値の基準、言葉の定義などにより物事を捉えています。

この観念のメガネは人それぞれにあります。

学生に講義を伝えるときに講師のわたしが100%自分の伝えたいことを伝えていません。自分の伝えたいことを表現するために観念のメガネを通して話しているということです。

観念のメガネを通して話すことで、私のいいたいことを100%伝えられるということはまずあり得ません。

そして、聴講している学生も観念のメガネをもっています。学生は自分の興味のないこと、聴きたくないことを聴きません。もしくは、自分の観念のメガネにしたがって自分で勝手に解釈していることがあります。

私の伝えたいことは、自分で観念のメガネに通され、さらに学生の観念のメガネを通過します。フィルターが二重に通過することにより、100あることが1つでも伝われば奇跡に近いといえます。

社会学者のルーマンは「人びとは本来わかり合えないものであり、コミュニケーションが成立することのほうがむしろ驚くべきことなのだ」と言っています。

以前の私は「なんで、しっかり聞いてないんだ」「なんで、勝手に解釈してるの?」と自分の主観にしたがって不満を感じていました。

しかし、この観念のメガネを知ってから、コミュニケーションギャップがあるのが当たり前なんだ、むしろコミュニケーションギャップがあることが自然なんだ、と思うと心が楽になりました。

コミュニケーションギャップがあるのは当然だけど、わたちたちは相手と疎通する手段を持っていないわけではありません。そして、相手から返ってくるフィードバックからを常に受け取ることができます。

フィードバックを受け取る限り、わたしたちは意思の疎通が可能なのです。

ただし、コミュニケーションギャップは埋めるべき、解消する必要がある思ってしまうと相手の価値観を認められなかったり、相手は自分に合わせるべきだという考えに陥ってしまう可能性があります。

価値観や信念が多様化する社会になり、相手を理解するということはますます難しくなっています。わたしたちはむしろ「理解できない」という相手とどうやって共存していくかということを考えなくてはならないでしょう。

その手段はすでに用意されています。
あとは自分たちがそれをどう使うかです。

今週、コミュニケーション講座を自分で開催していろいろな気づきがありました。
松下幸之助は「風からも学べる」と言っていたが、改めて実感することができました。

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