そこのあーた、ねぇねぇ、もっとゆる~くいかない?ビバ、リラックス!!

大学について考える

昨日(2010年9月23日)は、日本教育推進財団のシンポジウムに出席してきました。原田隆史先生の講演や、野田一夫先生と加藤寛先生の対談があった。

原田先生のお話で衝撃的だったのは、大学野球のピッチャーがオレオレ詐欺を働いていたということや、インターハイのボクシングの選手がノックアウト強盗を働いていたということ。とても能力があるスポーツ選手はなぜこのような犯罪に手を染めてしまうのか。
やはり、人格形成が学校で疎かになっているのだ。

そして、野田一夫先生と加藤寛先生の対談は「教育論」というテーマでしたが、内容は大学の教育についての内容でした。

野田先生、加藤先生ともにかなり過激に大学について提言していたが、でもその通りだなと感じることはたくさんある。

まず、大学の講師の問題。大学は研究機関としての役割もあるが、研究という名目のもとにあぐらをかいている講師が多すぎる。これは大学教授から講師も含めて。基本的に講義で手を抜いてもクビになることはない。企業研修講師だと一発でクビが飛ぶこともある。手を抜いた講義というのは受講してる方もわかるから聞いていてもおもしろくない。
大学の講師は、学生が聞く態度がなっていないというがいつの時代の話だといいたい。
義務教育の小学校や中学校では、血のにじむような努力で子供も席につかせて、なんとか授業を成り立たせている。はたして、大学の講師はそこまでして努力しているのだろうか?

二番目は大学や専門学校ではもう人格形成に関わる教育をしていないということ。はっきり言って高校を出たら一人前の大人になるということは、今の日本ではあり得ない。未熟なんだから、大学や専門学校でも人格形成に関わる教育をしていく必要がある。やっている学校もあると思うが、ほとんどの学校ではないだろう。特に専門学校は、メンタルヘルスの相談を設けている学校がほとんどないのではないか。(これは推測ですが)

わたしが大学に入ったときは、高校のときの受験でギスギスした雰囲気が嫌だったので開放感があった。そして、入学してからしばらくすると何をしていいのかわからない。講義とバイトと家の往復であったが、自分は何をしているのかわからない実感に襲われた。

高校までは制服を着て、クラスの人たちや部活の人たちといっしょに行動するから自分では仲間を選ぶことも、先生を選ぶこともできない。逆に言えば、自分で考えないでただ従って行動すればいいのだ。
それが大学に入って、「何でも自分で考えて、自分で選択していいんだよ」となると逆に選択などできやしない。なぜなら、自分で考えて、自分で選択するという思考を持ったことがないから。その考え方をする練習をしないと、いきなりやれと言ってもできるわけがない。

野田先生は、高校を出てから就職するなり、旅に出て見聞を深めるなりしてから大学に入ったらどうかと言っていた。まさにその通り。今の高校までの教育は自分で考えるという練習をしないから、自分自身で自分で考えるという練習をする期間が必要なのだ。そして、必要だと思ったら大学に入ればいい。目的意識を持った学生が増えれば、大学の講師も手を抜いた講義をすれば突き上げをくらうだろう。そうすれば講師も淘汰されるはずである。(今は制度としてクビにできないらしいけど)

大学が単に就職のパスポートになってしまっているなら、入学証明書だけで企業もすぐに学生を採用すればいい。その方が労働力も確保できてよいだろう。

日本の経済成長を憂うなら、制度化している大学と就職活動を今すぐ見直すべきだ。そこが成長のボトルネックになっているのだから。

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